上司がこんな話を始めた。

「俺が若いころなんて、がむしゃらに働いた。寝る間も惜しんで… そりゃ貧乏だったが…」

そして続く。

「だけど今のお前たちは、どうだ?ハングリーさがない。なぜもっと給料を上げたいだ
とかそういう欲がないんだ。もっと頑張って努力してみろよ。」

あなたは、そんな事を言われた経験はありませんか?

または、言った経験はありませんか?

もし「それに近いことを言ったことがある…」と思い当たることがあるのであれば
注意深く読んでほしい。

この種の人は、飲むと必ず自分の苦労話をする。
そして周りが白けているにも関わらず、続ける。

本質がブレていたりする話では、元も子もないが、「面倒臭い」話であっても
「正論」である場合は、なおさらやっかいだ。

本人は「熱い自分」に酔っている。そして
「自分の熱いメッセージを届けようと必死になる」

しかし、その気持ちとは裏腹に…

「うぜえ・・」

と思われる。

今の若者は、「がむしゃらに働くこと」に対しての美徳であるという考えは少ない。

「がむしゃらに働けない」わけではない。彼らは働く「意味」をきちんと理解したい
と考える若者が増えているのだ。

会社のために自己を犠牲にしたり、給料をあげることも、やろうと思えば出来る。

しかし昔ほど「単純」ではないのだ。がむしゃらに働く、その行為の意味を考える。

しかしその種の人たちは、陳腐な「ことわざ」や「格言」を並べ耳を貸さない。
全てを道徳的な話や正論で押し切ろうとする。

ゆえに、若者から、正しいけど、なんか…

「うぜえ・・」

と言われる。
それは、「正論」を押しつけるばかりで「相手を理解しよう」という姿勢が見当たらないからだ。

今の若者はすごいエネルギーを持っている。

それを生かせないのもまた、上司の能力不足だ。

熱すぎる炎は、周囲にも飛び火し、時には「嫌悪感」さえも与えてしまう。

今の時代求められる「熱さ」はフツフツと湧き立つマグマのような「熱さ」だ。

クールでカッコよくて。
かつ、自分の意見も冷静になって聞いてくれる。

もしあなたが今の若者に違和感を覚えていて、うまく彼らを生かし切れていないのなら
「熱さ」の種類を変えて接してみてはどうだろうか?

追伸

いくら正論であっても、「相手を理解しようとしない姿勢」では若いスタッフの指示は
得られない。若いスタッフを伸ばせるのか、殺すのか。それで会社の運命は決まるといっても
過言ではないはず。